こんにちは。DATTの池辺です。
今回は、建築にとっての「最小限」ということついて少々思いをめぐらせてみたいと思います。
建築するという行為は、一見専門的な分野のように見えますが、人の営みという括りの中では、太古の昔から行われてきた基礎的な行為だと言えます。厳しい自然環境や外敵から身をまもりつつ、人が安心して食べ、寝ることができる場所は現在も昔も必要不可欠です。
そういった場所、つまりは“住まい”を設計するとき、まずは最低限の機能性をクリアした上で、それをより豊かにするために何ができるかを考えます。現代の日本における最低基準は建築基準法が規定しているため、法を遵守すれば自ずとそれをクリアできると考えていいと思います。
その最低基準が年々複雑化・高度化するため、結果として専門家を要することになる訳であって、建築行為自体は元来誰にでも可能だし、開かれているはずです。たとえば野原にテントを張ることだって、立派な建築行為のはずですから。
さて、最近巷でよく耳にするのは、最低限ならぬ“最小限(ミニマル)”です。要するに、持たない暮らし(シンプルライフ)というやつで、洋服をはじめ、身の回りの所有物を極限まで少なくしていくことで、物に対するしがらみから開放されて、空間だけでなく頭の中もスッキリ!という眉唾モノのライフスタイルです。
断捨離ブームの先にあった終着点でしょうか。中にはTVはおろか冷蔵庫や洗濯機といった、通常生活必需品といわれる家電まで排した生活をおくる人もいるようです。(※参考までにわかりやすい記事を貼ります→
https://iemo.jp/56323)
ベッドまで排除した何もない部屋に、寝袋で寝る様子を想像して、生活の豊かさってなんだっけ?と思わず自問するわけですが。“最小限”を突き詰めると、冒頭に説明した、建築における“最低限”を揺るがす存在になってくるなあとも考えるわけです。
家の設計を依頼してきたミニマリスト(最小限生活を行う人の総称)のクライアントが、「私、電力供給いらないんで。」なんて言い出したらどうしよう、きっと全く新しい“住まい”が出来るのだろうな。いや、単純に昔へ逆戻りするだけ?いやいや、そもそも家すら要らなくなるんじゃないの?…といった具合にどんどんミニマルな想像が膨らんでしまいます(笑)。
日本経済、果ては自分の職能まで脅かすかもしれない“最小限”の風。
甘美な香りを少し遠巻きに感じつつ、固唾を飲んで動向を見守りたいと思います。
posted by U-40 architects at 00:00|
池辺慶太|Keita IKEBE
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