2017年04月15日

YRAD(イラッド)

こんばんは、YRAD(イラッド)です。

昨年に引き続き、今年もリーフレットのデザインを担当することになりました。

今回は、そのリーフレットについて少し触れたいと思います。

昨年は、リーフレットを置くスペースの問題から、
A4の三つ折りを採用することからデザインがスタートしました。

また、“初心に立ち返る”近作展というテーマから、
メインビジュアルに、分かりやすいアイコンとして出展者の模型写真を使用することに決めました。

<折った状態> <折らずに開いた状態> <立てた状態>

どの状態でも、同等の広告効果が得られるにはどうしたら良いかスタディした結果、以下の3つのキーワードに辿り着きました。

・無色彩
・均一
・非方向性

そのキーワードを基に、アイコンである模型写真の色彩を落とし、
紙一面に均一に並べ、方向性を無くすべく斜めに配置しました。

出来上がったデザインは、まるで包装紙の模様のように、
どの部分から折り始めても同等のビジュアル効果が得られるものとなりました。

仕上げに、ロゴを反復した帯をシールのように貼り付けて完成です。

...と、まだまだこだわった点は沢山ありますが、今回はこの辺で。

今年のリーフレット、只今絶賛デザイン中です。
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posted by U-40 architects at 14:42| YRAD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

矢橋徹

誤解を恐れずに言うと、今回の展覧会は建築の展覧会ではありません。
建築にはとても複雑なプロセスや要素、条件が折り重なっています。とても分かりにくいものです。
今回の展覧会では、そんな複雑な構造の建築を解体してみようというテーマを設けました。そのためには分かりにくいものを分かりやすく伝えることができる知性が必要です。単に稚拙な表現では伝わり方次第では逆に誤解をされてしまうので、表現にはとても重要な意味とテクニックが必要となる展覧会です。
One Architect One Project いわゆる1×1。この×の部分を各建築家が建築と自分を結び付けている「何か」を表現する展覧会になります。「何か」が見る人の意識や感じ方の解像度を変えるようなものになればと思います。
改めまして、今回の展覧会は建築の展覧会ではありません。
どうぞよろしくお願いいたします。
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posted by U-40 architects at 14:40| 矢橋徹|Yabashi Toru | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

松田 周作

「余白の美」としての「書」から、「空間の美」としての「建築」へ。
これが、私の建築を志した「原点」である。

「弘法にも筆の誤り」のことわざは、空海 が 応天門 にかかる扁額を書き間違えたことからきている。
現在、京都にある平安神宮の応天門は、平安遷都1100年を記念して明治28年(1895年)に創建されたものであり、扁額の「應天門」の文字は 空海 が書いたものではない。
扁額を書いたのは、空海 の書法を究めた名筆家とされる 福岡県 大宰府 の 宮小路康文(浩潮)である。

国技である 大相撲 に19年ぶりの日本出身 横綱 の誕生となった 第72代横綱・稀勢の里 の名が、東京都江東区の 富岡八幡宮 の 横綱力士碑 に刻まれようとしている。
この 横綱力士碑 を揮毫をしたのも、大宰府 の 宮小路康文(浩潮)である。

伊藤博文 の命により、国会議事堂(帝国議会)の扁額を揮毫したのも、やはり、大宰府 の 宮小路康文(浩潮)であった。

宮小路浩潮 と同じ時代に、江戸・京橋を拠点に活躍した書家に、「山本山」などを書いた 岡本可亭 がいる。
岡本太郎 の祖父であり、北大路魯山人 の書の師匠である。

優れた書家は、江戸・東京にも、確かに存在していた。にもかかわらず、太宰府の書家・宮小路浩潮 に、京都や東京や国、全国各地の仕事が 命じられていた。

私が 宮小路浩潮 の 玄孫 であると知ったのは、結婚を機に九州に戻ることを 松田家 に報告した時のことである。
先日、祖父の50回忌の法事があった。晩年の祖父が、父達に語ったそうだ。
士族であること、宮小路浩潮 の次男(祖父の父)が養子となり、現在の 松田家 があること。
ちなみに、現在の 宮小路家 の本家は、太宰府 の地で 考古学 を専門にされているそうだ。

現代の日本の「建築」の世界は、明治以降の100年の「建築教育」の誕生と学問としての新しさと未熟さ故に、現代建築 の可能性の広がりと、同時に、市井の人々の暮らしに十分に根付いたとは言えない状況にある。
また、それ故に、日本における「建築 100年」の起こり、「東京」が建築文化の中心である。

とは言え、100年である。
「広島」の建築文化が、「北海道」の建築文化が、「横浜」の建築文化が、東京のそれを凌駕することもある。
次は「大分」である。もう少し時間はかかるかもしれないが、必ず「大分」の建築文化には、その可能性がある。
太宰府 の 宮小路浩潮 が、全国を代表する書家となるように。「日本」を表す書となるように。

故・山口隆史 先生 が「大分」を生涯の地に選んだ時代から、大分の「建築」を求め、大分 を選び、大分 に留まり、大分 に帰る 建築家たちが、現在の 大分固有の建築文化 を、創り出している。
もちろん、その素地として、磯崎新 を輩出する大分の文化水準の高さと、日本に、あるいは、現代に「建築」の純度を高め、「建築」を根付かせるために、いつの時代も、建築の世界を先導し続けてきた、建築家・磯崎新 の存在がある。

大分固有の「建築の純度」が、現代の若手建築家を「大分」に、「アートプラザ」に、引き付ける。
私もその魅力に引き寄せられた一人である。

大分の「建築の純度」を求め、現代の 若手建築家 が一人、またひとりと、大分の地を選び、大分の地に留まり、大分の地に帰ろうとしている。
大分の「建築」は 今、のちの時代に「大分派」とも称されるべき、熱量を帯び始めている。大分の「建築の純度」が、「大分」の地に、「アートプラザ」に、若手建築家 を集結させる。

大分には「建築の純度」がある。
大分には「建築」がある。

2017.4.9 松田 周作
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posted by U-40 architects at 14:36| 松田周作|Shusaku Matsuda | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする